ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
忠蔵さんは、わずかな田畑で農業をしていました 借金生活の中で、記録を書き続けていました
借金がふくらんだのは、天明の不熟がもとだったようです
寛政8年に家督を継ぎ、11年から記録を取り続けました 文政9年までの飯米帳が見つかったので、少しずつ紹介します
年貢や貸米のことは、ブログ長府藩における年貢の話を参考にしました
長州藩では、農民が生き残れる分だけの米は、貸し与えられていたようです 寛政11年、家族1年分の米は、およそ13俵です
忠蔵さんの家族構成を、系図からまとめてみました
忠蔵さんの子供は、生まれたばかりですが、父母兄弟は、1人前必要です 12俵3斗は、51斗、510升を9人365日で割ると、0,16升 一人一日、1合6勺の米が食べられることになります