襖の張り紙、江戸時代の農民日記を、整理しています
今回は、半紙代と長州・萩藩の製紙のことです
紙は貴重品で、高かったと思われますが、日記帳にも使っているので、何回も買うものではなく、生活に支障はなかったのでしょう
「円」への変換は、計算がしやすいように、1文10円としています
長州藩の製紙については、天保時代、特に力を入れていました 推進したのは、村田清風先生です
清風先生は、子供のころは、勉強が好きではなく、本気になったのは、人より遅かったそうです
藩に登用されてからは、4代の藩主に信頼され、功績を残しました
重点政策「米、紙、塩、蝋(蝋燭)」の一つ、製紙について、天保の書、注進案から拾ってみました
三隅の紙地区では、楮栽培の跡・石垣が残っていますが、大津郡では、力を入れているようではありません
阿武を見てみます
報告書から、政策が思うように進んでいないことが感じられます 悪いことに、天保の飢饉が、5年も続いたことも、影響しているのでしょう 他の裁判(郡)を頼みにもしています 田万川の江崎は、昔から、重要な港だったようです
北浦では、小川地域で、集中的に製紙を行っていることが分かります 一山越えると、全国的に有名な「石見製紙」の津和野があります
徳地を見てみます
びっくりしました 徳地は、製紙の大生産地です 江戸時代に、もう、特産品を生産地化する政策がとられていたのですね
村田清風先生は、藩の大改革を行い、それを「注進案作成」という形で、チェックしていたのです ここは、他の有名な改革者と、少し違うところかな