チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

長州藩、忠蔵さんの農民日記4、たわし代、訂正令40628

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関東では、梅雨明けしたとか 山口県は、金曜までは、今週から晴れる予報でしたが、台風接近で、雨の連続に変わりました でも、今日は、青空で、海岸に行ってみました

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海岸では、オニユリが咲いていました オニユリコオニユリは、山口県では、「ごうら」「オニゴウラ」と呼んでいます 以前、高麗神社を「ごうら」神社と読むことを知ったので、「ごうら」とは、高麗のことだろうと思っています 今日は、ある番組で、高麗を「こま」と言っていました 昔、高麗の人が、日本に渡ってくる出来事が、あったのかな

今、ぼちりぼちり、江戸時代の日記を調べています

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文化文政時代の物品の代金、「たわし」のことです

*この記事を訂正します 「田」の字は「白」でした 「白はし1把」です これは、村の総会のときの「買物帳」の一部で、生島村知行領主「村上作兵衛」の役人が来たときのものでした このとき、忠蔵さんは、「畔頭(あぜがしら)」をしていて、庄屋「清蔵」とともに対応をしています

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天保のころの、三隅村の様子です

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百姓(農民)にも、3通りあります その区別は、石高(収入)による税金「門役銀」で、次のようになっていました

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「門男」が半数をしめ、小作や小規模農家が多かったことが、想像できます 忠蔵さんは、四半軒でした

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分家によって土地が減り、天明の飢饉でさらに打撃を受け、厳しかったろうと思います が、よく畔頭(くろがしら)を勤めたなと、思います