やっと、もみすりをしました 去年よりかなり少なかったです 株が張らなかったので、予想していましたが
さて、先日、江戸時代は、庶民の名字は許可制で、庄屋でもすぐには許されなかったということを書きました
ところが、公的には許されなくても、名字は使われていたようです
そのことを、水野家の記録から見てみます
まず、当時の生島村の状況です
村の領主は、村上作兵衛様です
水野家は、はじめ、土地もたくさんあり、畦頭役を続けていました
そのような状況ですが、各家の名字が書かれています
村内の名字がないのは、残念ですが、庶民の間で、名字は普通に使われていたのではないかと思いました