前回、庄屋の名字のことについて、名字がある庄屋とない庄屋があることについて書きました
そのことについての続きです 前大津通浦(長門市通)の戸田さんは、惣年寄になり、功績を認められて庄屋になりました 享保時代、不漁、不熟、火災などで困った浦人に、度々支援しています
この施行のあとには、代官所(勘場)に招かれて、料理を御馳走になったり、米や銀をいただいたりしています
代官所は、やがて現長門市役所の場所に移りますが、戸田さんの時代は、ここ、三隅豊原の勘場で、職務が行われていました 代官は、上司、当職に伺いをたてていました
戸田さんの名字について、そのやりとりが残っています
父は、一代、名字を許されました
戸田さんは、子供まで名字を許されました 名字は、相当の施行のあった人に許されたようです