長門市三隅に、辻並(ツシナミ)という地区があります
辻並は、香月美術館から南、山の方に入ったところです
奥に、ダムができました
ダムから見た辻並の村です その昔、山津波(土砂崩れ)で多くの家が流され、そのことを忘れないために、こういう名をつけたそうです 20年位前、郷土史に詳しい方が、「その時、何軒か山を越えて移ったので、山の向こうにも、辻並という村がある」と話されました 「辻並という村がもう一つある」 そのことが、ずっと気になっていました
先日、防長風土注進案、美祢の植物を調べていて、ついに、辻並という村の名を見つけました 嘉万、八代村の記録の中にありました
三隅から嘉万へのトンネルをぬけると、八代村に出ます
三隅の辻並と秋芳・八代の辻並の記録(防長風土注進案)を比べてみます
はじめに、三隅の辻並の記録です
山に囲まれていて、地下山が桁違いに多いことが分かります この時代、これだけ広ければ、林業だけでも生活できそうに思いました
次に、八代の辻並の記録です
家数30軒と、けっこうあります 災害は、この時代より前のことです
八代の記録の中に、山津波の被害にあったことや名前の由来が書いてありました 2つの辻並は、大水峠をはさんで両側にあります 大水という名がついているのも、山津波と関係があるのでしょうか
三隅側の江戸時代の絵地図、行程記です
辻並は、山の中にあります 山にも、大水がついています 八代の辻並については、次回、残りの資料を紹介します