昨日は朝から雨で古地図の旅をすることにしました そして豊田町にも高倉荒神社があることが分かりました
萩博物館掲示古地図です 三隅豊原から長門大畑です
大畑から豊田今出です
寛保2年行程記、三隅豊原から二条窪(楫取さんが住んだところ)を通り大畑に行く道の説明です 此の道 三隅村の二条ケ窪通り 渋木を伝い 豊浦分今出 地吉へ行く道のため 豊原一里山 これ有り
一里山の説明です 此の一里山は山田村(萩市)の内玉江坂の一里山を伝い 三見村(萩市)前の道 同村の飯井 三隅村の内津雲 同村の此の一里山を伝い 渋木村の内坂水 同村の内大地 同村の内大坂(大ケ迫?) 今出 地吉 大井手まで也 大井手は、豊田支所の方に豊田前へ行く交差点あたり(殿敷)と教えていただきました
湯本経由で渋木から大峠に入りました
長門清掃工場を過ぎ、峠を越えしばらくすると耕作地にでました 川は豊田湖に流れていますが長門市大峠です
庚申塚に注連縄が供えてありました
下って下関との境を過ぎます
橋のようなものがありました
隣村から水を引いたものです ここにも先人の苦労が残っていました
石柱渓入口にミツマタが咲いていました
山道に高倉荒神祭の桃太郎旗が立っていました
山道入口に庚申塚がありました 道を近くの人に教えていただき、高倉荒神社を探しました
ありました 鳥居は享和元年奉納のものでした 昔はもっと高いところにあったのを下げられたそうです
高倉荒神社は長門俵山にもあります 祭りは毎年2月28日に行われ、大田や山口の祭が有名です 大内氏が朝鮮から伝えたといわれています 岩にたまった水の量で、その年の作物の出来や稲の植え方を占います
豊田にも大内の文化が残っていました 俵山経由で戻るので俵山の高倉荒神社にも寄ることにしました
湯町に行く道 俵山小学校を過ぎて少ししたところの橋を渡ります
鳥居から階段が続きます
頂上にありました
ところで大峠から地吉に行く道は2つあります 今の県道は南ですが、昔の街道は北ではないかということです 今出と今出川があるので
身近な小さな旅でしたが、私にとって大きな発見がありました