チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

知行村上作兵衛

寒波は過ぎましたが今日も寒い一日です 古文書をゆっくり見ることにしました

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当家一世の内容です 家督といたし候 太郎兵衛本家住居之時より當家別居時分 当村御地頭村上作兵衛様御時代元禄宝永之比畔頭(くろがしら)役被仰付堅固ニ所勤いたし相続て躮平四郎ニ被仰付候

村上作兵衛さんが生島の地頭だったとあります

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行程記には知行とあります 高弐百五十石 家数五十六軒 村上作兵衛知行生嶋 御米蔵 ほかの人も知行とあります 

毛利藩主の下に八家(毛利一門、永代家老)があり、その次が寄組(よせぐみ、幕末62家、一代家老など)、その次に大組(おおぐみ、武士)となって、村上作兵衛は寄組に入っています 寄組は当職、当役などの重要な役についたようです 御米蔵のところに名前があるので、これに関係する役だったのでしょうか

ただ、石高には大きな差があり、堅田家は6000石もあり一門に近いほどあります 村上作兵衛は、風土注進案では、生嶋、久原 298石となっています 大組の多い人よりも少ないのです

萩に城を構えた毛利は、寛永2年(1625)三隅31人の知行の総入れ替え(草刈のみ残る)を行い、15人の知行になっています 家臣の勢力を弱めるために行われたとも言われ、農民への締め付けも始まったそうです 

萩博物館の売店に古地図(630円)があったので買いました 村上作兵衛の家を探しましたが見つかりませんでした