チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

三隅の六地蔵

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三隅の上地区に一の瀬というところがあります その奥は三の瀬(ソウノセ)といい滝坂神楽舞が残っています 湯本の谷と同じような小名のつき方をしています 湯本の三の瀬には萩焼窯元があります

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宝暦と文政の文字が見えます 200年以上も前江戸時代、疫病が流行って子どもがたくさん死に、お坊さんのお告げで六地蔵を建てたということです(みすみ昔ばなし) それから毎年村人は感謝をこめてお祭りをしているそうです 子どもの頃一ノ瀬の親戚に行き、ここにお参りして各家がお供えした料理を子どもたちでいただきました(8月24日) 大歳社の祭りでは御馳走を食べ、滝坂神楽舞を見に行った覚えがあります(10月20日) 

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六地蔵の傍には石団子と藁土団子があり、飢饉のときにおなかを膨らませるために土団子を食べたという話を思い出しました 飢饉のことを忘れないようにしたのでしょうか

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寛保2年(1742)御国廻御行程記には中小野と豊原にも六地蔵の絵がかいてありました 中小野の旧道にありました

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豊原の旧道を歩いても見つかりませんでした そこで行程記にかいてある交差点「四ツ辻」らしき場所にいって店の人に尋ねました するとまさにここは「四ツ辻」で嬉しくなりました 六地蔵のことを聞くとよく知らないが墓地のところにあったような気がすると言われとにかく行ってみることにしました

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JR三隅駅の裏に墓地はありました 国道やJR線路ができて昔の道が随分切り取られたようです

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六地蔵がありました 「文化」の文字が見えるので後に立派にされたのでしょう 三隅の六地蔵が三か所とも大切に祀られていることが分かりました OK商店の方ありがとうございました

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寄進者の一人に勝屋治郎左衛門がありました この人は庄屋で水害の度に豊原の川の改修の費用を負担し後に滅びた人です(三隅町の歴史と民俗) 三隅川は度重なる反乱で村民は大変苦労したようです その中でお金を貸す大庄屋はさらに大きくなっていったというのが悲しいですね