萩城算用方の帳面を調べています
今日は、9代藩主斉房・靖恭院の13回忌が、東光寺で行われたときのことです
法事に際し、釣柿(干し柿)と水菓子(果物)が、10代の子供たちからお供えされています
次男はなくなっているので、名前はありません 嫡男、保三郎の名前がありませんが、嫡男だから別扱いなのでしょう
文化10年から文政4年までの法要を、毛利十一代史からひろってみました
法要は、萩、東光寺と、江戸のお寺でも行われています 江戸でなくなった人は、いったん江戸のお寺で法要されたようです
萩城算用方の帳面を調べています
今日は、9代藩主斉房・靖恭院の13回忌が、東光寺で行われたときのことです
法事に際し、釣柿(干し柿)と水菓子(果物)が、10代の子供たちからお供えされています
次男はなくなっているので、名前はありません 嫡男、保三郎の名前がありませんが、嫡男だから別扱いなのでしょう
文化10年から文政4年までの法要を、毛利十一代史からひろってみました
法要は、萩、東光寺と、江戸のお寺でも行われています 江戸でなくなった人は、いったん江戸のお寺で法要されたようです
自作本の紹介をしています 今日は、大歳祭のことです 祭日は、今も10月2日です
大歳祭りは、大当屋が1軒ずつ回っているのが、当屋をしていた記録から分かります
村人の人数が分かる帳面がありました
大当屋は、いまも同じような形で回っています ただ、注連縄を作るのがたいへんなので、地神祭でいっしょに作っています
大歳社は、薬師堂の横にありますが、明治の地図を見ると別々にあったのかもしれません
神社の鳥居は、倒されて大歳社の横においてあります 山の中を調べてみようと思います
自作本の紹介をしています 今日は、小豆混納のことです 忠蔵さんは、小豆は2種類、ほかにもいろんな豆類を栽培し、記録していました
水につけた籾が、少し芽を出したので、種まきをしました
思ったほど水温があがらないので、こうして箱を包んだ方が、多分早く成長します 電熱線を使わないので、芽の成長にむらが出ます
あっちこっちに籾が落ちました もったいないと言われそうですが、カビが生えるのでひらいません
自作本の紹介をしています 今日は、籾すりのことです 混納帳には、籾づき、籾挽き、あらもと挽きと3通りがありました
ぶどうの芽が大きくなり、ペリーAは、蕾が分かるようになりました
房がついていると、ほっとします この棚は、はじめは上に覆いをしていませんでした 梅雨時期になると悲惨な状態になります
新芽が次々と病気にやられます 覆いをかけると、農薬をまかなくてもだいじょうぶです
自作本の紹介をしています 今日は、中供養の戻りに、居酒屋でいっぱい飲んだ話です
江戸時代、お金は、銅銭と銀との2通りで計算していました 帳面には、たいてい80と書いてあるので、銀1匁は銭80文です 店の代金は、お酒が銀で6分、ほかの品が銅で文です 代金を銅で計算し、さらに4人で割り勘にしています ほかの場面でも、そうですが、農民は、計算力があったことが分かります
町内には、いくつもお寺がありました 忠蔵さんの檀那寺は、嘉万の明教寺ですが、いろんなお寺とかかわりがあったことも分かります
江戸時代は、今とは違った形のお寺との付き合いがあったようです
今日は、苗箱に土を入れました 種まきは、あさってくらいです
庭のしだれざくらが咲きました もうかなり弱っていて、若葉が出たら枯れた枝を切り落とします
鉢植えのゴヨウアケビは、今年も花がつきましたが、残念ながらめ花がありません いっしょに植えていたミソナオシをのけました
4本移植したサクランボは、手入れ不足で弱ってしまいましたが、3本ほど花がさきました 今年は、よく手入れしなくては
庭に苗箱のトンネルをつくりました 自家用、子供たち用で、世話するにはちょうどよい量です
1箱分、黒米の種をまきました これは、ちょっとした楽しみです
季節が早まっています ぜんまいも早めに出ていると思い、いつもの場所にいってみました
予想どおり出ていました が、杉などの大木が一段と大きくなり、湿り気の場所が減り、ぜんまいの場所も減っていました
湿気を好む植物が、いくつか咲いていました
シュウメイギキがなくなったのが残念です 道沿いの環境が変わりつつあるので、今咲いている花も、その内見られなくなるかも