自作本の紹介をしています 今日は、包明風呂敷のことです 領主から預かった刀を返しています
領主から刀を預かるということは、何か重大なことがあったのかもしれません 親族がなくなったときに、刀をどこかに預けるという風習もあるそうですが。
毛利十一代史の中に、1年前、領主村上作兵衛に、大変なことがあったことが書かれていました
忠蔵さんは、文政3年に畔頭役を受けています 年貢皆済一紙に、代官所からの手紙がついていましたが、赤茶けて読めないのが残念です
自作本の紹介をしています 今日は、包明風呂敷のことです 領主から預かった刀を返しています
領主から刀を預かるということは、何か重大なことがあったのかもしれません 親族がなくなったときに、刀をどこかに預けるという風習もあるそうですが。
毛利十一代史の中に、1年前、領主村上作兵衛に、大変なことがあったことが書かれていました
忠蔵さんは、文政3年に畔頭役を受けています 年貢皆済一紙に、代官所からの手紙がついていましたが、赤茶けて読めないのが残念です
ここ数日よい天気が続いています
このまま春になるといいです シダレウメの白が咲きました
巨峰とベリーAのおおいをかけました これで、ぶどうのおおいは完了、あとは、つぼみが出るのを待つだけです
江戸時代の書物に、穂の木名、ほのきなということばが出てきます 中国、四国地方で使われているそうです
三隅の「あぶみだ」という地名は、明治の地図の字「金焼」というところの部分的な地名、田の名前です 明治20年の地図を紹介します
明治20年の地図地名は、当然、江戸時代のものをもとにして作られたと思います 江戸時代の田畠の表記を見てみます
忠蔵さんが寛政12年に記録した田畑には、右肩に名前がついています 明治の「字」にあたるところが、「村」となっています その下に、田ごとの名前がついています 今の自分のとこの名前は分かりますが、よそに移った田畑の場所は、分かりません
村の、年貢の帳面にも、田畑の右に名前がついています
年貢の帳面の名は、字(門前、神畠、岡など)もあれば、その下の名(石休み、土取など)もあります 「穂の木名」とは、この部分のことをさすのでしょうが、どういう意味か、さっぱり分かりません
自作本の紹介をしています 今日は、おなだまりのことです
仏壇は、先祖をまつる場所なので、特別なものです 「おなだまり」ということばも、忠蔵さんの日記ではじめて知りました ところで、前の仏壇はどうしたのだろう
シャインマスカットにおおいをかけました 雨にあたると葉が病気になって、まったく育たなくなります
シャインマスカットは雨があたらないと、勢いよく成長します わずか1年で、新しい枝を作ることができました
自作本の紹介をしています 今日は、子夫筈米刈取のことです
原の川の田は、現在も米作りをしています
売ったり買ったりで、ほとんどが昔と場所がかわっていますが、原の川だけは、今も続いています
忠蔵さんは、植えた品種も記録していました
昨日は、ぶどう巨峰の屋根に、砂袋で作ったおおいをかけました
以前、忠蔵さんの農民日記で、節分のことを紹介しました
2月3日の日付で、節分の内容を紹介していますが、江戸時代には、12月から1月中旬の間にあって、それが終わって新春を迎えたようです
今、萩城算用方の帳面を整理しています
文化10年から文政4年くらまでの、萩城の殿様と家族の料理のことが書かれています
まず、毛利十一代史で、そのころの家族を調べました 太字は、帳面にある人です
中に、節分のときの料理がありました 殿様を中心に、50人で、そばを食べています
2月3日訂正しました 1文=10円については、当時の醤油の値段と比べ、
醤油1升800円=80文から、1文=10円で換算しています
御奥は殿様の居住場所で、江戸城の大奥にあたるのは、萩城では西長屋となっています
もう一枚には、正月2日の節分の料理がありました 帳面の記録の関係もあるかもしれませんが、節分は、年によってずれているようです