チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

忠蔵さんの農民日記p94,包明風呂敷

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自作本の紹介をしています 今日は、包明風呂敷のことです 領主から預かった刀を返しています

 

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領主から刀を預かるということは、何か重大なことがあったのかもしれません 親族がなくなったときに、刀をどこかに預けるという風習もあるそうですが。

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毛利十一代史の中に、1年前、領主村上作兵衛に、大変なことがあったことが書かれていました

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忠蔵さんは、文政3年に畔頭役を受けています 年貢皆済一紙に、代官所からの手紙がついていましたが、赤茶けて読めないのが残念です

庭のユズリハを切りました

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昨日は、大霜で昼はよい天気になりました もう、春です

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ハクビシンに破られる巨峰の網を、もう1枚かけて、頑丈にしました これでもか、という気持ちです 芽が少しふくらんできたようなので、この上に、ビニルシートをかける予定です

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しめ飾用に植えたユズリハも、35年たつと大木になり、手入れが大変になってきました 思い切って切りました 切り口から新芽が出るはずなので、この枝が大きくならないように使っていきます

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年輪がきれいに分かります 切った木は、何か使い道があるかも

昔の地名、穂の木名のこと

江戸時代の書物に、穂の木名、ほのきなということばが出てきます 中国、四国地方で使われているそうです

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三隅の「あぶみだ」という地名は、明治の地図の字「金焼」というところの部分的な地名、田の名前です 明治20年の地図を紹介します

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明治20年の地図地名は、当然、江戸時代のものをもとにして作られたと思います 江戸時代の田畠の表記を見てみます

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忠蔵さんが寛政12年に記録した田畑には、右肩に名前がついています 明治の「字」にあたるところが、「村」となっています その下に、田ごとの名前がついています 今の自分のとこの名前は分かりますが、よそに移った田畑の場所は、分かりません

村の、年貢の帳面にも、田畑の右に名前がついています

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年貢の帳面の名は、字(門前、神畠、岡など)もあれば、その下の名(石休み、土取など)もあります 「穂の木名」とは、この部分のことをさすのでしょうが、どういう意味か、さっぱり分かりません

忠蔵さんの農民日記p93、おなだまりのこと

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自作本の紹介をしています 今日は、おなだまりのことです

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仏壇は、先祖をまつる場所なので、特別なものです 「おなだまり」ということばも、忠蔵さんの日記ではじめて知りました ところで、前の仏壇はどうしたのだろう

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シャインマスカットにおおいをかけました 雨にあたると葉が病気になって、まったく育たなくなります

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シャインマスカットは雨があたらないと、勢いよく成長します わずか1年で、新しい枝を作ることができました

忠蔵さんの農民日記p92、子夫筈米刈取のこと

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自作本の紹介をしています 今日は、子夫筈米刈取のことです

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原の川の田は、現在も米作りをしています 

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売ったり買ったりで、ほとんどが昔と場所がかわっていますが、原の川だけは、今も続いています

忠蔵さんは、植えた品種も記録していました

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昨日は、ぶどう巨峰の屋根に、砂袋で作ったおおいをかけました

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江戸時代、萩城の節分のこと

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以前、忠蔵さんの農民日記で、節分のことを紹介しました

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2月3日の日付で、節分の内容を紹介していますが、江戸時代には、12月から1月中旬の間にあって、それが終わって新春を迎えたようです

今、萩城算用方の帳面を整理しています

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文化10年から文政4年くらまでの、萩城の殿様と家族の料理のことが書かれています

まず、毛利十一代史で、そのころの家族を調べました 太字は、帳面にある人です

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中に、節分のときの料理がありました 殿様を中心に、50人で、そばを食べています

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2月3日訂正しました 1文=10円については、当時の醤油の値段と比べ、

醤油1升800円=80文から、1文=10円で換算しています

御奥は殿様の居住場所で、江戸城の大奥にあたるのは、萩城では西長屋となっています

もう一枚には、正月2日の節分の料理がありました 帳面の記録の関係もあるかもしれませんが、節分は、年によってずれているようです