昨日はずいぶんあたたかくなりました
屋根から落ちた雪もとけ、梅が咲きました
三隅久原の方から、久原にはおってない「村上」という墓があると聞き、見にいきました
立派で、町人の墓ではないようです 両横に女性の名前、中央の人は、院をもらっていません 家紋があります 鈍斎という名も気になります 前の灯篭に、村上作之進という名があり、この人が作ったのでしょうか
村上家には、三隅久原と生島の知行主がいました 村上家寄組は三家あり、村上水軍の一族で、毛利藩主とともに長州に来ました
久原、生島知行の村上作兵衛の墓所は、どこにあるのか、まだ調査中です 久原の墓は、1つだけで、家紋から、村上作兵衛に関係する人のものではないかと思います
墓は、天保のものですが、少し前に、村上家にかかわる事件がありました(十一代史)
武藤家に養子にいった弟が、殺害事件を起こし、斬首され、親元兄の対応が悪かったので、知行を減らされ隠居させられました 死骸は旦那寺に埋葬されたようです 斬首されて17年、17年の法要を済ませたあと、翌年にこの供養塔を造ったのではないかと想像しました
解明のためには、村上作兵衛家の墓を見つけなくては・・・