ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化10年のものです
夏の借米として籾米を受けていましたが、文化10年には、中さびと書かれています 忠蔵さんが思いついて書いたことばかもしれません 籾米の借米を、一覧にしてみました
飯米が減って、さびしくなる意味かなと考えましたが・・・
それにしても、借米は、一向に改善されません 10年たってもこれでは、つらいですね
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小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化10年のものです
夏の借米として籾米を受けていましたが、文化10年には、中さびと書かれています 忠蔵さんが思いついて書いたことばかもしれません 籾米の借米を、一覧にしてみました
飯米が減って、さびしくなる意味かなと考えましたが・・・
それにしても、借米は、一向に改善されません 10年たってもこれでは、つらいですね
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小作農民忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は文政8年のものです
保有米が増えても、借米は、減るようすが見られません 同じような借銀生活が続いたのでしょう
忠蔵さんは、飯米帳のほかに、作物混納帳と麦飯帳をつけていました ようやくまとめることができました
麦飯帳は、すんなりつながりましたが、作物混納帳は、大変でした ところどころ記録が欠けています
忠蔵さんが書いたものを、200年たって、子孫がこうして調べているのですが、仏壇のむこうから、不思議に思ってみていることでしょう
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今日は、文化7年の飯米帳のことです
文化7年は、兄弟も家から出たあとで、前年には、子供2人がなくなり、家族も少なくなりました それでも15俵も必要だったのは、いままでが十分な飯ではなかったのかもしれません
やぶかんぞうが、あちこちで咲いています 種ができないのに、どうして広がったのか不思議です
土用干しをしました あしたからは、また、水を入れます
ももが食べごろになったのに、次々腐っていきます やっぱり、無農薬は無理なのかも
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今日は、文化6年の飯米帳のことです
殿様祭は、江戸時代に、それまでの地域の祭りに兼ねて始まったようです
毛利十一代史に、文化6年の災害のことが書かれています 忠蔵さんの収量をみると、たいしたことはなかったみたいです
新年早々、子供のほうそうで大変な年だったようです
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小作農民忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化5年のものを紹介します
文化5年は、借米が減り、少し改善されたのかもしれません
活発な梅雨前線のために、南の方は、たいへんな雨模様です 長門では、ちょぼりちょぼりです 今、梅雨の花が咲いています
ももが、いい色になりました
自然に落下することを見込んでいましたが、よくとまりました 孫に送ろうと思っています
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忠蔵さんは、小作農民ですが、作物収穫や借銀、日記などの記録を残していました
今、飯米帳を紹介しています 今日は、文化4年のものです
文化4年は、不作だったのか、借米が増えました 当然、借銀もふくらんだことでしょう 分家した弟のおくさんがなくなり、鉢米を渡しています 農民日記45で紹介しています
わずかな田畑を、さらに分家わけし、忠蔵さんも弟も、苦しい生活が続いたことでしょう