ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、塩気とききんのことを紹介します
江戸時代も、塩は重要な産物でした
塩気は、塩より少し高いようです どのような状態で売られていたものか?
ききんの時は、米、麦の次に、塩が配られています ぬか塩は、からいのに、空腹を満たすために、食べたのでしょう
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、塩気とききんのことを紹介します
江戸時代も、塩は重要な産物でした
塩気は、塩より少し高いようです どのような状態で売られていたものか?
ききんの時は、米、麦の次に、塩が配られています ぬか塩は、からいのに、空腹を満たすために、食べたのでしょう
家にあった古い屏風から、古文書を取り出しました 古文書は、萩城内にあったものです
部分的ですが、いろいろあります その中の東武国朝記巻十のことを紹介します
内容は、享保10年ころの江戸城での出来事のことです 将軍は、かの吉宗、毛利は、吉元(綱吉から一字いただいた)です
今日は、徳川一門の子孫という者が現れたので、評定所で対応したということです
裁きの部分が欠けていて、詳細がわかりません 残念です
以下、古文書と内容です
家督、養子問題が起きないように、書付が、享保7年5月10日に出されているようですが、まだ、わかりません 持ち主の落款がありますが、これも、分かりません どこで、だれが、書いて、萩城にどのようにきたものか 一件目から、不思議な文書に出会いました
庭の梅の花が咲きました 近くでは、満開になっているものがあります
落葉樹が、そろそろ芽吹き始めるので、不要な枝を切りました
伸ばし放題にすれば、自然樹形になって、剪定も少なくなると思いますが、庭に植えている限りは、おつきあいしなければいけないようです
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、日記を書いた忠蔵さんの子孫のことです
忠蔵さんの孫の忠右衛門と、その孫、スミの百回忌を行いました
墓地には、全員の名簿をつけておきました
ところで、畔頭(くろがしら)程度で、ほそぼそと続いた百姓ですが、屏風を買うこともできた時代があったようです
中からは、萩城にあったと思われるものが、たくさん出てきました 順番に、紹介していきます 今、対応に困っている古民家が増えているようですが、ふすまや屏風は、処分前に、確認しておいたようが、よいかも・・・